Osaru's Diary

September 1999 -1

9/1(水)一番大きなおやつ

8月も終わり今日から9月。保育園のプールは今日で最後。まだまだ暑い日は続くが、明日からはシャワーだけになってしまった。

保育園にお迎えに行ったときに先生とお話をしていたのだが、園児の数も少ないのでおやつの時間は好きなイスに座って食べることにしているようで、今日おさるはおやつの時間に大好きなお友だちから隣においでと言われたのに、テーブルを一周回って一番大きな水ようかんがある場所に座ったそうです。あんこ、きなこ、お饅頭とか和菓子系が大好きなおさるらしい。

家に帰ってきたらポストに嬉しい黄色い包みが入っていた。私が行きたかったレゴのオフ会で行われたオークションで出されたブロックを私のためにもりひろさんが落札してくれたのが届いていた。

夕食後おさると一緒に作る。おさるは「パパの好きなヘルメットと頭の穴が開いてない人形だよ。」と教えてくれる。これは青いバイクが入っているセットで欲しかったんです。もりひろさん本当にありがとう。

今日お父さんとの連絡が全く取れず、今週末どうするかが決められない。
保育園の先生から言われて気づいたのだが、介護休暇が今の状態で取れるのか明日職場で確認することにした。確か無給だがもし取れるようならば取りたい。


9/2(木)介護休暇検討

午前中は介護休暇が取得できそうか職場で検討。担当部署に確認を取ったら大丈夫そうなので、とりあえず上司に取得するかもしれないとだけ言っておく。

午後はママのお見舞。

私が行ったときちょうどお腹の水を取っているところだった。その後は帰るまでほとんどママは寝ていた。時々気がついて足を揉めとか顔をかけとか言うぐらいだった。声はやはりまだほとんどでない。少しは出るのだが聞き取りにくく紙に書いてもらいやっとわかる感じだ。私の帰り際、ママが息が苦しいとナースコールを押していた。少ししたら収まったようだが大丈夫だろうか。

今日の夜はお父さんが泊まる。

お父さんと今後のことを少し話したのだが、とりあえず今週の土曜日、いとこにおさるを預けて私は病院に泊まることにした。今後夜も泊まらなければいけないのかがまだよくわからない。先生とお話ししたかったのだが、あいにく話をすることができなかった。

私の職場では、介護休暇は1つの病気について最大3ヶ月の期間取れるのだが、いつまで取ればよいのかがわからない。先生にこのことについても相談したかったのだが。

帰宅後、いとこと土曜日の話をする。土曜日は小学校が終わってからの出発になるようなので、我が家につくのは5時ぐらいだろうか。明日家の片づけと掃除をしなければ。

おさるに、「パパ土曜日お仕事夜遅くまでかかるから、おさる寝て待っていて」と言っておいた。それについておさるからのコメントは特になかった。大丈夫だろうか?

おさるは保育園のお散歩でクリを拾ったようで、まだ小さかったが大事そうにポケットにしまって持って来た。もうすぐ秋なんですね。


9/3(金)明日が楽しみ

朝、「保育園のカレンダーにスタンプが押してある日は遠足なんだよ。○○動物園にバスで行くんだよ。」と嬉しそうに教えてくれた。そうだもうすぐ保育園の遠足があるんだ。またお弁当考えなくてはいけないな。でも初めてバスに乗っての遠足だからおさるも楽しみだろう。

保育園の連絡帳に「明日○○ちゃんと○○ちゃんがくるんだー」とうれしそうに言っていたと書いてあった。一緒に遊んでもらえるので嬉しいんだろう。明日を楽しみにしているようだ。

お風呂に入っているときに、「明日パパ遅くなるからえっちゃんとお風呂入っていてね」と言ったら「えーー」とは言っていたがたぶん大丈夫だろう。

明日私はいとこが夕方家に来てから病院に行く。なるべく明日はお昼寝をさせない方がいいな。そうすると夜すぐ眠くなって寝てしまうだろう。でも眠いと機嫌が悪くなるのが心配だ。

いとこにはお休みの日なのに申し訳ないが、7時からビーダマンと7時半からのゴーゴーファイブは見させてあげるように言っておこう。明日はたこやきマントマンの日だから7時半には起きないといけない。たまにはゆっくりと寝坊したい。


9/4(土)-9/5(日)結婚記念日

おさるは朝からテレビ。私はなるべく寝ていようと寝坊。朝食食べた後も寝る、昼食食べた後も寝る。ほんとよく寝た。おさるに「パパ寝てばかり」と言われてしまった。これだけ寝たのに寝だめができない私。

5時頃いとこ達を迎えに駅まで歩いていく。いとこ(看護婦)、その娘、別のいとこの娘。の3人がわざわざ来てくれた。はじめおさるは恥ずかしいと言いながら顔を隠していたが、すぐにうち解けて一緒に遊んだりし始めた。

6時少し前に私はおさるに「パパお仕事行ってくるね」と言うと、嫌な顔をしたが別に私にくっついてくるわけでもなく、そのまま遊びを続けた。大丈夫そうだ。自転車で駅まで行って電車で病院へ行く。

7時過ぎに病院に着くと、お父さんと弟がいた。しばらく一緒にいて8時頃2人は帰宅。

ママの具合は相変わらずだ。お腹のたまった水の中に血が混じっているらしい。丸々膨らんだお腹が痛いのと、呼吸が苦しいらしい。呼吸が苦しくなると、酸素マスクを手ではずそうとする。呼吸が小刻みになると、自分がはいた二酸化炭素をまた吸うようになるので苦しくなるのではと先生が言っていた。だからゆっくりと呼吸をすればいいのだが、なかなかそうもいかないようだ。

ママはほとんど声が出ないので筆談になるのだが手が思うように動かなかったり、苦しかったりであまり書いている字が読めないので、かわいそうだが何度も書き直してもらうことになる。自分の意志が伝わらないのはほんとかわいそうだ。

2時頃苦しくてなかなか眠れないので、眠くなる点滴を入れてもらっていた。その間私も少し寝てしまう。気がつくと看護婦さんが来ていた。いとこが「そばにいるだけでいいんだよ」とは言っていたが、私がママのそばにいてもなんの役にも立たない。時々顔をかいてあげたり、足もんであげたり、うがいの手伝いをしたりしたぐらいだ。

夜中ママが寝ているときに、今日は9月4日だなーと思っていたら、9月4日は結婚記念日だ。あわただしくて忘れてしまっていた。たぶんママは今日が何日かとかいうのはわからないと思うが。今日で結婚して6年目だ。おさるが生まれてから初めてママと二人だけでいるとはいえ、こんな形での結婚記念日は悲しすぎる。

去年は結婚記念日後に入院だったが、今年は入院中だ。それも今までの入院では考えられないような状態になっている。体はまったく動かず、肺炎、お腹にガスと水、酸素マスク。ママには一番つらい結婚記念日だ。

眠くなる薬は7時頃も入れてもらっていた。寝ているときは呼吸は一定のリズムで苦しがらずに寝ている。起きているときは、眉間にしわをよせいつも苦しそうな感じでほんとつらそうだ。起きていると言ってもうとうとしながらだが。

昼頃、弟が来たので私は家に帰る。

家についたのは13時頃でちょうどみんなで昼ご飯を食べに出かけようとしていた頃だった。昨日は泣くこともなく、楽しく過ごせたようでほんと安心した。来てくれたお姉ちゃんがおさると一緒に遊んでくれたのでよかった。寝たのは10時半頃だと言っていたが、朝のビーダマンは少し見られなかったようだが、ゴーゴーファイブが見られたのでおさるは満足だったようだ。

一緒にお昼ご飯を食べた後いとこ達は帰宅。いとこ達が帰った後、おさるに「昨日楽しかった?」と聞くと嬉しそうに「楽しかったよ」と話をしてくれた。ほんと遠いところまでわざわざ来てもらってよかった。えっちゃん、あやちゃん、まいちゃんありがとう。

その後私は昼寝。おさるは寝ずに一人遊んでいた。

庭のスモモの木の葉っぱがやけに少なくなっているのでよーく見たら、大量の毛虫。毛虫にほとんどの葉っぱを食べられてしまったようだ。スプレーを毛虫に吹き付ける。

夜はさすがのおさるも眠くなったようでいつもより早めに就寝。

夕方Jちゃんのお父さんから電話があった。Jちゃんのお母さんは他の保育園の看護婦さんをしている。優しいお父さんとお母さんで私も大好きだ。Jちゃん一家は以前我が家に遊びに来たことがある。おさるの保育園で一番仲良しのお友だちだ。今度の土曜日遊びに来ませんかとのこと。Jちゃんも電話でおさると「遊びにおいで」「いいよ」等と話をしている。以前から遊びにおいでと言われていたのだが、なかなかいけなかった。ママは以前から「入院中でも行ってきていいよ」と言っていたので、おさるも行きたがっていたので、今度の土曜日おじゃまさせていただくことにした。

その後、いとこから家に着いたよとの電話をもらう。また今度の土曜日に来てくれるらしい。次の土曜日は第2土曜日なので早めに出発できるらしい。Jちゃんの家に遊びに行って帰ってくる頃になるが、また来てもらうことにした。

結構、一緒に遊んでくれる子がいればおさるも夜は大丈夫のようだ。やはり少しは寂しいと思うがおさるもわかっているんだろう。いっそうおさるがかわいく思えた。

長いような短いような2日間だった。


9/7(火)ひとりでできるもん

私は昼から病院へ。

病院に着くとすでに弟と親戚が来ていた。

ママを見ると痛くて苦しがりながら寝ている。時々お腹が痛くて手が痛々しく動く。この間まで酸素マスクをつけていたのだが、今日見るとそれがはずされ鼻の穴に2本細いチューブ(そうかんではない)が入っているのに変わっていた。少しよくなったのかと思ったがそうではなく、ママが酸素マスクが嫌ですぐにとってしまうので、嫌がらないときには酸素マスクとの併用になったようだ。酸素を多く送り込むと鼻のチューブでは鼻が痛いらしく、酸素の濃度が上げられないため併用するらしい。

眼球の腫れはいっそうひどくなっている。目をつぶっても飛び出しているそれは真っ赤に腫れて痛々しい。

黄だんが少し出てきたので、今日肝臓の先生が来てみてくれて、お腹の水は明日抜くことになった。抜く量は4リットル、結構な量を抜くようだ。抜いた水をフィルターにかけて点滴としてまた体に戻すらしい。それをすると2、3日熱が出たり、血圧が変動するようだ。痛みはどうなんだろうか。少しでも今より楽になればいいのだが。

私が病院に行ったのが2時頃で、病院を出る4時半過ぎまでママは寝ていたので、たぶん私が来たのは覚えていないだろう。寝ているとはいっても、ずっと苦しそうにうなっていた。相当痛いのだろう。

Iさんの家にお迎えに行くとまだおさるはご飯を食べているようだったので玄関で少し待つ。廊下のところにレゴの箱がおいてあったのだが、#4559、#6286と#5688だ。いずれも子供のおもちゃとしては高価な物だ。うらやましすぎる。しばらくしておさるは口の中にチョコアイスを入れて出てきた。満足そうな顔。

帰宅後、「9月になったらこれくれるっていってたじゃん」と棚においてあるカバヤのレゴラムネを指す。そんなこと言ったかなと思いながら1つ選ばせる。それを渡してしばらくすると、おさるは一生懸命一人で作っている。まだ一人ではできないだろうと思っていたら、一人でちゃんと組み立てられていた。「おさる一人で作れるんだ!」と言うと「そうだよ4歳だもん」と自慢げなおさる。

寝ているときに急に思い出すおさるの話がおもしろい。今日は寝ているときに「ママと海に入ったときにチクってしなかったね。」とおさる。この間"ドーバー海峡横断部"をテレビで見ていたときにクラゲに刺されていたので、「水が冷たくなってきたらクラゲが出て来るんだよ」と教えたのを急に思い出したらしい。寝るときに布団の中で、なぜかいっぱいお話をしてくれるので、つい楽しくて聞いてしまって寝るのが遅くなってしまう。

庭の芝がだいぶ伸びてしまった。本当はこの間の日曜日にやろうと思ったのだが眠くてできなかった。今週末の日曜日にできるだろうか。

9/19はいとこの結婚式だ。この間来てくれた小学生のお姉ちゃんのお父さんの結婚式(^^;)なので行きたいのだが。今のところ出席の予定にしてはいるのだが、清水なので前日の土曜には家を出発しなければならない。ママの具合次第だ。行くにしてもおさるの服をそろえなければ。


9/8(水)ママ意識不明

おさるを保育園に送ってから、ママの病院へ車で行く。

11頃着いたのだが、着いたところで父から電話があった。今日の腹水を抜くのは延期になったとのこと。とりあえず病室へ上がっていく。

腹水抜きが延期になったのは、ママの血圧がものすごく不安定で、この状態で水を抜くのは危険だかららしい。昨日の夜3時頃に痛み止めを入れてから、今までずっとママが起きない。呼びかけにも反応しなくなってしまった。今までなら手は必ずナースコールを握っているのだがそれさえもせずにただ眠っている。

先生が体に入った酸素濃度?を調べるとすごく低い。それにのどにタンがからんだ音がしている。先生は"意識が不安定な状態"と言っている。このままではものすごく危ないので、急遽そうかんをすることになった。そうかんも大変危険が伴うらしい。今度は口から気管まで管を通して人工呼吸器につながった。2度目である。前回はもどしたのが気管に入って息ができなくなるのをさけるためだったが、今回はそれとは違う。

オシッコも出ていないらしい。オシッコが出ないと言うのはよくわからないが、それも大変危ないようだ。アンモニアが体に回るのか?(ちょっと不明)

人工呼吸器がついたママの手を握り話しかけるが全く反応はない。それでも私のできることはママの手を握っているだけだった。

今日はおさるのお迎えをお願いしていないので、3時前には病院を出る。

保育園で担任の先生と少しお話。その間おさるは無邪気にブロック遊び。

夜、看護婦をしているいとこと話をする。昨日から今日の状況について話したのだが、担当の先生の話を聞いたわけではないので何とも言えないと言うが、今のママの状態はやはりものすごく危ない状態らしい。

いざというときにおさるをママに会わせるのか?おさるは、眼球が真っ赤に腫れて体中むくみ皮膚がぼろぼろに剥がれているママを見たときにどうなのか?今後私が後悔しないようにしなさい、と言われる。やはり看護婦さんだ、最後の時はママに会わせてあげたいとただ思っていただけだったが、考えさせられる。

今後おさるを親戚の家に預けるか、親戚に来てもらうか早めに答えを出さなければいけない。

つらい。

深夜、父と連絡が取れた。今日は弟が病院に泊まり、父はホテルに泊まっていたのだが、23時頃に病院を出るときまでママの意識はなく、オシッコが出る薬を入れてもまだ出ていなかったようだ。オシッコが出るか出ないかが大変重要なのだ。

心配だ。

夜寝るときに、「ママの病院の看護婦さんになる夢見るんだ」「注射とか持っていかないといけないな」とおさる。そんなこと言ったらパパ泣いてしまう。今のママの状態についてはまだおさるに話をしていない。寝る前に無邪気にブロックで遊んだり、ふざけていたりするのを見ると切ない。今私はおさるがそばにいてくれると気がすこし休まる。

明日の朝、おさるを保育園に送ってから私はまた病院へ行く予定。


9/9(木)意識は未だ戻らず

今日も朝からママの病院に行く。

ママは昨日と同じでずっと眠ったままだ。それにやはりオシッコは出ていない。手や足がまた昨日よりもむくんでいる。

先生から、意識は少しだけあるみたいなので痛がるのはかわいそうだから痛み止めは入れている、オシッコが出ないのはやはり致命的、これ以上オシッコが出るような薬等を入れていくと他も悪くなってしまう、そのため今日の夕方までオシッコが出るか見て出ないようならば利尿剤等を入れるのをやめたい、それをやめるとたぶん2、3日しかもたない、会わせたい人がいたら会わせたあげてください、と言われた。

つらすぎる。いとこの看護婦が言っていたが、意識がなくても耳だけは聞こえるようなのでなるべく声をかけてあげるようにしたが、ママの顔を見ると涙が出て声をかけられない。私には泣きながらママの手を握りしめるしかできなかった。

その後父とこれからのことについて少し話をする。

おさるに今のママを見せるのはやめることにした。おさるには元気なママの思い出だけを作ってあげたい。どういう風におさるに説明してあげればいいのかまだわからないが、私がおさるにお話ししてあげなければいけない。

同じ病気で入院していて今は元気になった、ママが信頼していて友人というよりも姉のように慕っている方に状況を説明して病院に来てもらった。ママに声をかけると少しだけ手が動いたような気がした。

私がママと知り合った頃から3人でよく一緒に遊んでいた私の職場の友人に車の中から電話をした。今の状況を知らせたくて電話をしたのだが「今病院にいるんだけど・・・」でしばらく涙があふれ言葉が出なかった。
その後友人はすごく心配してくれ職場からわざわざ病院まで来てママに会ってくれた。ありがとう。

やはり私が帰るころまで、オシッコは出ていなかった。たぶん利尿剤等を入れるのはやめにしたと思う。

私とおさるは、とりあえず病院に一番近いホテルに明日とあさって泊まることにした。昼間おさるは、ママが姉のように慕っている方に面倒を見ていただき、その間私はママのそばにいる。そして夜はおさると一緒にホテルに泊まる。

おさるに、明日ホテルに泊まるんだよと言ったら、「アンパンマンラムネもって行こうね」とうれしそうに言っていた。なぜホテルに泊まるのかおさるにはまだ言っていない。

我が家の自宅の電話に留守電を入れると、私の携帯にメッセージが届きます。その後こちらからかけ直しますのでよろしくお願いします。


9/10

おさるを昼間病院近くの方に面倒を見ていただき、私はママの病室へ。

夜はおさると二人でホテルに泊まる。

その晩、職場の友人が千羽鶴を折ってホテルまで届けてくれた。


9/11

昼頃私の親戚にホテル近くまでおさるを迎えに来てもらい、おさるは我が家で親戚達と泊まる。

今日もう一泊ホテルに泊まれるのだが、夜少しだけホテルに戻りシャワーを浴びてすぐ病院へ行き、ママのそばについていてあげる。

ママの病室に昨日いただいた鶴を飾る。ママの左手は血栓が切れたようで冷たい。


9/12

血圧は60ぐらい。

朝6時ぐらいに看護婦さんから、「心電図に不整脈が出始めました。」と言われる。そして、担当医師に看護婦さんが連絡をする。

私、ママの父、ママの弟が病室の中にいる。

先生が7時過ぎにやってきて、「心電図が乱れ始めました。まもなくです。」と言い、ナースステーションにあった心電図のモニタを病室に運び込む。

先生はモニタを見ている。私は泣きながらママの手を握る。

「心臓が停止しました。」

瞳孔を確認して「7時37分ご臨終です。」と先生。

・・・

「人工呼吸器等をはずして、体を拭いてきれいな体になってからまた逢っていただきます」と先生。

その間、私は自宅、鶴をいただいた友人、おさるを面倒見ていただいた方に電話で泣きながら連絡する。

電話から戻ってくると先生から今までの経過について私たち3人に説明をする。

説明の最後に「どうして腹水がたまったのか。これから移植を受ける白血病の患者さんのためには・・・」と言うところで先生が何をいいたいのかがわかり涙があふれる。

「・・・病理解剖をさせてください。」と先生。いっそう涙があふれる。

しばらくして、私は泣きながら「お願いします」と答えた。私には看護婦だったママはそうして欲しいと思っていると感じた。

病室に戻ると、人工呼吸器もはずされきれいな顔になったママがいた。中学の時に亡くなったお母さんに会えたのだろう、ママの顔が笑った顔になった。

そのまま地下にある霊安室に運ばれる。そこでお線香をあげ、しばらくするとまたママは病理解剖のために運ばれた。また戻ってくるまでだいたい2時間半くらいかかるようだ。

しばらくすると、職場の先輩がわざわざ霊安室まで来てくれた。

葬儀のことについて葬儀社の方と色々話をして、9/13通夜、14告別式と決める。先輩が手伝い人員については任せなさいと言ってくれた。お願いする。

・・・

ママが戻ってきた。お腹は普通の大きさに戻っていた。病理解剖の結果、腹水は6リットルたまっていた、腸から出血がだいぶあった、肺は二つともだいぶ痛んでいたとの報告を受ける。医師が学会で発表した別吊り等はすべて翻訳して我が家に送ってくれると言っていた。ママの死因はGVHDだった。

棺に入ったママと一緒に家に帰る。

・・・

家に着くと1階の和室はきれいに片づけられており、そこにママは寝る。棺の中のママはお母さんの着物を体の上に掛けている。

私はおさるに「ママ死んじゃった。ママはこれからお星様になるんだよ。」とだけ言うのがやっとだった。おさるは泣くわけでもなく「ふーん」と言うだけ。ママが死んじゃうとどうなるのかはおさるにはやはりわからなかった。「この中にママいるの?」と聞いてきたので「そうだよ・・・」と答える。

その後葬儀社の方と打ち合わせ。一気に説明されるのでわかったようなわからないような。ママの一番きれいな写真を探すが、最近は坊主頭の写真ばかりなのでなかなかきれいなママの写真を見つけるのは大変だった。

打ち合わせが終わった後に、ママの友人に電話をかけるがどこまで連絡すればいいのかがよくわからない。

その日は電話ばかりしていて、悲しみに浸っている余裕もなかった。おさるは親戚やいとこ達と一緒になって遊んでいる。


9/13 通夜

おさるはママにゴーゴーファイブの雑誌とギンガマンのサインをもらった色紙をあげることにしたようだ。私は、ママは以前飼っていて亡くなった白文鳥の止まり木を大事そうにしまっていたのでその止まり木と、おさるの写真を入れてあげることにした。

3時頃ママをお迎えに来た。今まで晴れていた空が急に曇り雨が降り出してきた。ママにカツラをかぶせてもらう。一応カツラは持ってはいたが、滅多にかぶることもなくバンダナと帽子だけだったのでなんか変な感じだ。

ママが家を出る頃には本格的な雨になった。家にいた親戚達も一緒に葬儀場に向かう。私とおさるはママと一緒の車で葬儀場まで行く。動き出してしばらくするとおさるは私の膝の上で寝てしまった。

葬儀場に着くと雨も止んでいた。

式が始まると私の横でおさるは、通夜に来ていただいた保育園の先生や、お友だちの父母、お友だちを見つけては手を振っている。私とおさるは一緒に「今までありがとう」と最後の言葉をかけてご焼香。

大勢の方が、通夜にみえてくれた。ありがとうございました。

夜おさるは、広い畳の上を走り回ったり、親戚と遊んだりしていた。

今日の夜がママと一緒にいられる最後の夜だ。今日はここに泊まるが風呂がないんです・・・。

ママとは結婚して6年だが、祭壇に飾られたママの顔は、5年ほど前にママの友人の結婚式に行ったときに写真なので結構若く顔も笑っている。ママの顔を見ると悲しんでいてもママに笑われてしまう。

私はママの顔を見ながら二人で最後の話をする。残念ながらママからの返事はないが、ママと出会ってから、おさるが生まれ、ママが病気になって亡くなるまでのことについて話をした。でももっともっといっぱい話をしたかった・・・。ずっと一緒にいようねと言ったのにたった6年しか一緒にいられなかった・・・。おさるの成長を一緒に見守りたかった・・・。さみしいよママ・・・。


9/14 告別式

昼頃親戚が集まってきた。

喪主である私には大きな花のリボンがつくが、おさるを含め他の親族は小さい花のリボンなので、「パパのだけ大きくてずるい」とおさるに言われてしまった。もう花のリボンはしたくない。

棺に入ったママに、花を入れてあげているときには涙が出た。

火葬場の釜に入っていくママの棺。つらいです・・・。

ママが入っている白い小さな箱は暖かかった・・・。

火葬場から戻って初七日。

その後みんなで家に戻る。おさるは帰りの車の中で寝てしまった。


9/15 

昼過ぎ親戚達が帰っていった。おさると二人だけになった。

おさるは親戚達にいっぱい楽しく遊んでもらったようで、「またみんな来るといいね」と言っていた。

以前のおさるは誰か来ると私にぺったりくっついていたが、ここのところ私が忙しかったのがわかるのか、私にくっついてくることもなく、親戚達と遊んだり、親戚のおばさんと寝たり食事をしたりとおさるなりに気を使ってくれたのだろうか。

ママが入院中も二人だけの生活だったが、それはママが退院してくるまでの間だった。これからは違う。ずっとおさると私の二人だけだ。ものすごくこれからのことが心配だがおさるは私だけが頼りだ。私がしっかりとしていかなければいけない。今のおさるにはママが亡くなったということがどういうことなのかわからない。おさるが大きくなりそれがわかるようになったときに、ママが亡くなったときのことを話してあげる。そのため、なるべく詳しく覚えているために、つらいけどここにそのときのことを記することにした。このホームページを作り始めたときにはこういうことになるとは思っても見なかった。もうすぐこのホームページが1周年を迎えるときにこのようなことになるとは・・・。

結局おさるにはママの最後の時逢わせることもしなかった。亡くなったママの顔も見せることもしなかった。最後の時ぐらい逢わせてあげればとの声もあるが、おさるの今後に影響するかもしれないと思ったら私にはできなかった。顔がむくみ髪の毛が抜け、目から真っ赤な眼球がはみ出し、黄だんで黄色くなっている顔を、おさるにはママの顔と覚えて欲しくなかった。4歳の記憶はいつまで残るのか私にはわからないが、ママの顔はいつも優しく笑っている顔と覚えていて欲しい。おさるが成長して人が死ぬということがわかるようになったら、亡くなったママの顔を見せる。そのためにママの顔を写真に撮った。そのときがいつ来るのか私にはわからない。私がおさるをママに会わせなかったことは間違っているのかもしれないが私にはそうするしか考えられなかった。

ママはおさるにとっても私にとってもかけがえのない存在だった。ママと結婚して6年。ずっと一緒にいようねとママにプロポーズしたときのことが思い出される。ママは本当に心の優しい人だった。私は初めてあったときにこんな心の優しい人がいるんだと驚いた。おさるを立ち会い出産したとき以来私は久しぶりに号泣した。おさるが生まれたときは本当に嬉しかった。でも今はものすごく悲しい。こんな悲しいことは初めてだ。ママはおさるが大好きだった。ストレス解消はおさると遊ぶこととママは言っていた。

これからは、中学の時に亡くなったお母さんにいっぱい甘えていいよ、一緒に遊んでいいよ。かわいがっていた白文鳥ともいっぱい遊びなさい。もう病気になることもないし痛くて苦しまなくてもいいよ。

ものすごく短かったけど、ママ今までありがとう。これからはお星様になってずっとおさると私を見ていて欲しい。おさるが成長していくのを空から見守ってあげて欲しい。

ありがとうママ。さようならママ。