History

1999/12/21更新

これまでの背景古いところは記憶が曖昧で間違っている箇所があるかもしれませんがご勘弁を


<子供(おさる)生まれる>

95年7月に子供(おさる)を出産したおさるのママは、産休と育児休暇と取得し、96年3月に育児休暇中から仕事に復活した。4月の保育園開始までの1ヶ月間パパは育児休暇を取得し子供の面倒を見ることとした。

4月になり子供は保育園。パパの職場が保育園から近いので子供の送り迎えはパパがすることとした。


<発病>

そして数ヶ月。

6月頃おさるのママの顔色が悪く、子供を寝かしながらそのまま寝てしまうことも多くなり、だいぶ疲れているのかと思っていたが、念のため自分の病院で診てもらうこととした。

しかし、病院で診てもらったおさるのママは「急性骨髄性白血病」と診断され、病院にパパを呼びそのまま2人で救急車に乗ってK病院へ行きそのまま入院する事となった。K病院はその方面ではすばらしい病院である。が遠い。車で約2時間。

その日は、まず入院の手続き等を済ませ、パパは子供を預けている保育園のお迎えの時間もあるので、早急に家に戻ることとなった。

その後パパは、保育園や職場への説明等を済ませ。1歳にもならない子供の面倒をどうやってみていくのか。また病院まで電車で約1時間半かかるところへどうやって見舞いに行ったらよいのかを検討するため、市役所で相談し、老人介護や子供の世話をしてくれているところHを紹介された。

数日後Hの責任者の方と話をし、今後水曜日と土曜日に保育園の迎えをして、我が家(団地)で食事を作り子供に与え、パパが病院のお見舞いから帰ってくるまでの間、子供の世話をしてくれる、ということになった。

おさるの1歳の誕生日(7月)、おさるのママの誕生日、結婚記念日もおさるのママは病院の中だった。

そんなこんなで96年11月。(永かったー)

やっとおさるのママも退院し、今後は2ヶ月に1度約40日間の治療のための入院を1年繰り返すということになった。


<退院・家建築>

5月頃に、完治したら働くことを前提に引っ越しを考え始めた。おさるのママの病院が立川にあり、現在の家は小金井。距離にするとさほどでもないが、おさるのママの通勤の負担を考え引っ越しを決意し、今まで働いていた病院から近い国立に家を建てることとした。


<再発>

入退院を繰り返し、97年9月に最後の治療となったが、そのとき再発が確認された。

再発の治療は前回の治療よりも重く、薬が効かなくなっているので強い薬を使用するなど大変なことになった。最善の方法は、骨髄移植である。

骨髄移植をする事を前提に、また2ヶ月に1度約40日間の治療が始まった。骨髄移植のドナーを捜しているが、なかなかおさるのママの骨髄の型と合うドナーが見つからず難航。

12月家が完成し、引っ越し。しかしおさるのママは入院中。仕方がないので、全てお任せで引っ越しをした。

新しい家は住み心地もよく、子供が暴れてもあまり迷惑にならず快適である。数週間後おさるのママも退院し正月は3人揃ってとなった。

しかし、いままでHにお願いしていたときには我が家でのケアとなっていたが、今後はケアをして下さる方の家で水曜日と土曜日にパパが病院から帰宅するまで面倒を見てくれることとなった。もちろんそれ以外の日はパパが子供の食事を作っている。


<定期治療98/9>

8月、9月から入院するおさるのママにMobileGeaII(R500)を購入した。この機種はメールの読み書きがほかの機種よりもやりやすく、文字も打ちやすいのでこれに決めた。おさるのママは、以前近所のスーパーでWindows95の講習会に行っていた。講習会が少しは役立っているのだろうか?

今回の入院は1998年9月9日から約40日間。ケアして下さる方はSさん。ちょうど保育園の裏にあるマンションで、優しい若い方でご主人も優しい方である。小学校高学年のお兄ちゃんと中学生のお姉ちゃんがいる。おさるのママが退院までの水曜日と土曜日におさるの面倒を見ていただいた。


<退院98/10>

1998年10月9日におさるのママが退院し自宅療養となる。

10/22おさるのママが外来でK病院に行く。病院で、ドナー対象者からキャンセルされたことを聞く。年明けには臍帯血バンクからの臍帯血で移植か?

10/23成人の臍帯血移植で成功したとの新聞報道あり。


<定期治療99/2>

今回の入院は1999年2月22日から約40日間の予定。

前回入院時と同じで、父がお見舞いに行っている間、おさるの面倒を見て下さる方はSさん。おさるのママが退院までの水曜日と土曜日におさるの面倒を見ていただく。

3/27退院。


<骨髄移植>

骨髄バンクと臍帯バンクでドナーを捜していたが型がすべて一致するドナーは見つからない。

最近になって型が1つ違っていても骨髄バンク経由では移植が可能となった。
その後おさるのママの病院でも型1つ違いでの移植について病院の倫理委員会で移植可能との判断となり、おさるのママが発病したときに検査した実父(型1つ違い)との移植の可能性が見えてきて、現在実父の健康診断等を行っている段階。1999/4


<骨髄移植のために入院>

1999/5/24から移植のためにおさるのママ入院。
ドナーは実の父62歳。移植予定日は6/25。

これから入院中は、水曜日と土曜日に私はおさるのママのお見舞のために病院へ行く。病院まで車で約2時間。
そのため水曜日と土曜日の保育園のお迎えはSさん。Sさんがおさるをお迎えに行きSさんの自宅で食事を食べさせていただく。そして父の帰りを待つ。

入院期間は早くて4ヶ月間。半年覚悟での入院である。


<骨髄移植・無菌室>

1999/6/25実の父からの骨髄移植を行った。

移植後、GVHDのため体に紫に斑点がでた。使っている薬のせいか顔や体が丸まるとむくんでいる。吐き気や熱がずっと続いていた。そのため、メールを読むことができず、無菌室内に持ち込んだPHSで具合がいいときにだけ家に電話をするという日が続いた。


<骨髄移植・大部屋>

1999/7/26無菌室から大部屋に移動した。

大部屋に移動したら、PHSを使うことを婦長さんから禁じられた。そのため、エレベーター前の公衆電話から電話をすることになった。だがしばらくは、できるだけ部屋の外に出ない方がよいため、家への電話はなし。


<個室移動>

1999/8/6大部屋から個室に移動した。

具合が悪くなったので、自分から個室への移動を希望した。


<導尿>

1999/8/14膀胱炎で体力がほとんどない状態でトイレとの往復ができず、オシッコの管を入れた。

体力が一段と衰えた。ステロイドを大量に入れているかららしい。自分で歩くことができなくなった。


<1999/8/21現在の状況>

1999/8/21

6/25急性骨髄背白血病(AML)の再発期の骨髄移植を行った。骨髄の生着は良好である。だが、GVHD(皮膚、肝、腸にでる)が皮膚に出て、そのためステロイドの大量投入による治療を行った。ステロイドの副作用として大量に使うと感染症になってしまうので、そのため減量したが症状が悪化した。仕方なくステロイドを増量しゆっくりと減量していく方法を取ることにした。下痢、腹痛、血便があったので先日腸の検査をするために細胞を取ったのだが、細胞を調べてみたら、ウイルスとGVHDが確認された。そのウイルスは普通の人の体にもいるのだが免疫がないおさるのママにはそれもだめらしい。ウイルスを抑えるには抗ウイルス剤で免疫抑制を下げるのだが、GVHDを抑えるにはステロイドで免疫抑制をする必要があり、お互い逆になる。抗ウイルス剤の副作用としては、白血球や血小板の減少がある。白血球が減少すると感染し、血小板が減少すると出血がある。さらに消化器官から出血をしてヘモグロビンが半分になってしまっていて貧血をおこした。そのため輸血をしたようだ。対ウイルスにするか、対GVHDにするかで免疫抑制が全く反対の方向になりどうすればいいのか、少し様子を見なければいけない。


<呼吸困難・肺炎>

1999/8/21夕方

もどしたのが気管に入って呼吸困難に。レントゲンを撮ってみたら肺炎が確認された。肺に入る酸素の量を増やすため、酸素マスクに変えた。肺に水がたまっているので鼻から管を通しそれを抜く。


<鼻から肺へ管を入れる>

1999/8/21夜

酸素マスクをやめ鼻から肺まで管を入れて酸素を取るようにした。肺の機能が弱っているので、体に入る酸素濃度をあげるためだ。鼻から入れたのは口から管を入れるよりもその方が患者の負担が軽いのでそうなったらいい。管の先には人工呼吸器がついているのだが、まだ人工呼吸器で強制的に呼吸をさせているのではなく、おさるのママの自発的な呼吸によって酸素を取っている。ただ管が入っているので話すことはできなくなってしまった。患者負担を減らすため眠剤によって眠っているので会話もできなかったようだ。


<人工呼吸器はずれる>

1999/8/31

数日前から人工呼吸器の酸素濃度を下げてきていたのだが、今日人工呼吸器をはずして酸素マスクに変えた。声はまだあまりでないが、少しだけ話せるようになってきた。

お腹の中にガスと水がたまったようでお腹がだいぶ痛いようだ。

手がほんの少し動くだけで、体はまだほとんど動かすことができない。


<意識不明>

1999/9/8

昨日の深夜からおさるのママはずっと寝たままになってしまった。

予定では今日、お腹にたまった水を4リットル抜くはずだったが、血圧も不安定だし意識もないので延期になった。

ずっと寝たままのおさるのママの体に入っている酸素濃度?が低く、のどにタンも絡んでいるので急遽そうかんする事になった。2度目である。今回は前回と違い口から気管まで管を入れ人工呼吸につながった。

オシッコが全然出ていない。薬を入れてもまだ出てきてはいない。オシッコが出るかでないかは大変重要らしい。オシッコが出ないとおさるのママの状態はさらに大変危ない。今晩が勝負だ。


<オシッコが出ない>

1999/9/9

先生から、意識は少しだけあるみたいなので痛がるのはかわいそうだから痛み止めは入れている、オシッコが出ないのはやはり致命的、これ以上オシッコが出るような薬等を入れていくと他も悪くなってしまう、そのため今日の夕方までオシッコが出るか見て出ないようならば利尿剤等を入れるのをやめたい、それをやめるとたぶん2、3日しかもたない、会わせたい人がいたら会わせたあげてください、と言われた。

つらいです。


<永眠>

1999/9/12 7:37

朝方から心電図が乱れ、7:37に心臓が止まった。

おさるのママは31歳の若さで永い眠りにつきました。


<病理解剖>

1999/9/12

おさるのママが亡くなった後先生から今までの経過について話を聞いた。その最後に「今後の白血病の患者さんのためにも病理解剖をさせて下さい」と先生から言われ、泣きながら承諾した。

病理解剖の結果、腹水は6リットルたまっていた、腸からの出血もだいぶあった、肺は二つともだいぶ痛んでいたとの報告を受ける。医師が学会で発表した別刷り等はすべて翻訳して我が家に送ってくれるらしい。


<骨髄バンク推進全国大会>

1999/12/18
広島で行われた"骨髄バンク推進全国大会"で私のホームページの日記が朗読された。